理解力の歴史

 何回も読んで、いっぱい考えて、そして書いて、また留まって。批判されて褒められて非難されて感謝されて。こうして人の精神は鍛えられる。不完全な言葉が発する限られた情報、そこから真実を思い定める。その能力こそが、人を最低限でも納得させる状態を作り出す。

 全く同じ文章を拠り所にして、全く異なる結論を導き出そうとする人々、検察官、弁護士、そして裁判官である。現実と数々の条文とを照らし合わせて、ある者は無罪を、ある者は有罪を導き出す。そして自らの解釈・理解が正しいことを信じ、他の不条理を廃すべく論戦する。そしてある者は、その論戦に一応の決断を下す。これを最長3回ほど繰り返して、如何なる理解が正しいとされるのかが決まる。

 日々論戦は行われ結審し続ける。この現実を条文に即して理解していく一連の作業の記録、それが判例となり、理解の歴史が積み重ねられていく。これを読みこなせれば、自ずから様々な刺激を受けるであろう。ゆっくりと頭を巡らせ、最終判断を導き出す訓練こそが、理解力にとって最適で判断しやすい材料になる。

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