言葉の終始

 人生最初に発した言葉は何であろう。喃語とはいえ解る人には解る「言葉」だ。周囲の人に解る言葉、発したの何時のことか。だれも記憶にとどめてはいない。お腹の中のことを覚えている子もいるのに、初めての言葉は誰も気にしない。誰も記録しない。誰も知らない。

 人生最後の言葉、多くの賢人偉人とされる人々の言葉が残っている。感銘を与える数々の言葉、「終わりよければ全てよし」。その人の一生の善し悪しは最後の時になって判るもの、最後の審判はその参列者によって下される。すでにその人はいないのに・・・その評価をそんなに気にするものか。

 数学者にとって、その最後まで計算できたことは幸せなこと・・・その証明は数学者でも不可能であるのはいうまでもない。

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