神は死んだ

 ウサギは青年と一緒に暮らしていた。青年は神への信仰がとても篤く、慎み深い生活を送っていた。あまり刺激のない生活にウサギは少々退屈でもあったが、青年が毎日話しかけてくれるので寂しくはなかった。夜が来れば朝が来る。今日も同じように始まる・・・はずであった。しかし、この日は違った。

 「神は死んだ」、この言葉が青年の耳に入ったのである。丹知右衛門という高名な学者先生の言葉だそうで、青年にとっては計り知れない言霊となった。その日以来青年の生活は一変し、目は虚ろ、なにやらぶつぶつと口にしているかと思えば、妙に明るく振る舞ったりである。

 ある日、青年の友達が訪れ、誰が神を殺したのかを究明しだした。これは神が与えたもうた試練の一つとして真摯に取り組むのだという。もう神はいないはずなのに・・・。ある者は「丹知右衛門こそが犯人だ」と言い、ある者は「犯人なら犯行を隠すはず」と反論し、またある者は「それが犯人の狙いだ」としたり顔で言う。

 無神論者の仕業と一致しかけたが、そもそも神を感じ取れない輩に殺せるだろうかという疑問が呈され、それでは無神論者の丹知右衛門にはムリということになってしまう。「それじゃ異教徒だ」という思考は「神が偽神に負けるはずはない」と一顧だにされない。

 何日も何日も議論は重ねられ、無神論者の仕業を否定する理屈が逆に裏切り者を示唆するに気づき、互いに疑心暗鬼になる有様である。議論は何日も何日も続き、「本当に殺されたのか?」「自然死?自殺?そんな馬鹿な・・・」「本当に死んだのか」「確かめろ」「どうやって」・・・・・・・・・。ここに至り、「我思う故に我あり」という古の言霊が、この不毛な議論を止めさせたのである。

 ふと気づくと、ウサギは死んでいた。誰が殺したのだろう。

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