神の子だぁれぇ

よく知られた座敷童の特徴としては、「子供には見えるが、大人には見えない」とか、「座敷童のいる家は栄えるが、いなくなると没落する」だとかが伝承されています。

まず、そこに疑問が存在します。子供に見えて大人には見えないとはどういう事でしょう。子供には見えない、必要のない・・・大人の事情というのならば判ります。ある家がお金持ちとか貧乏とか、社会的地位が高いとか低いとか・・・本来子供だけの社会にはあまり関係のない余所の世界の物語です。

なのになのに座敷童がいなくなった家は没落するとは、完全に没落して余所に流れて落ちていくまでは、その家が没落しようとしまいが大して影響のない子供、誰が座敷童がいなくなると判定するのでしょう。

本当に座敷童は大人には見えないのでしょうか。見えないものを追い求めて宿泊するお方もいるとか、ネズミが走る音も座敷童の足音、梟が鳴く声は座敷童の溜息・・・そうかもしれないし、そうでないかもしれないし、見えない物の判断は困難なのです。

昔は殿上人といって、下々の人とは明確に違うとされた方々がおわしたとか、彼らにとって地下やら庶人とやらは一顧だにしてはならない物、人ならぬ者・・・物と者との音が一緒なのは不思議ではありませんか?。彼らにとっては見えない者、そんな物語もあります。

「大人(に)は見(え)ない」、民主主義が知れ渡った今の世では考えられない・・・いや社会的身分制度のもとでも起こりうる事でしょうが、身分制度がハッキリと区分された社会では特に、下の者が見てはいないものがありました。それが社会の仕組み、安全弁、そして闇ではない陰の世界です。

「いる家は栄える」、同じような話に、神の子というのあります。障害児の生まれた家は栄えるという・・・よく商家に飾ってある福助水頭症の子供がモデルとかいいます。親にとっては子は宝、その子を守るために必要以上に頑張って戦って、結果的に商売繁盛に結びつくのだと解説されてます。そして、神様になった子供は既に人の世のものではありません。人は死して鬼にも神にもなりますが、人に留まることは許されてはいません。

子供は見てしまうが、大人は決して見ない。いる間は栄えているが、没落するといられない。座敷童は永遠に童なのでしょう・・か。


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興味深い脳科学の情報、人の脳は子供の頃は脳幹が未発達で、左脳と右脳とが未分化の状態だそうです。そのため、大人では区別できる感情と論理とがごちゃごちゃになりやすいそうです。「欧米人は虫の声を音として聞く」など言われますが、子供と大人とは視覚情報の処理の仕方が異なるのかもしれません。そう目は単なる受光器官、本当は脳で見ているのですから・・・。


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