それが人の業というものか

独逸か何処かの社会学者だったかの実験が最近の新聞やらに載っていたのを思い出す。求人をしている会社に同一人物を応募させ、面接に呼ばれたか否やを集計した結果であるが、履歴書の写真を本人そのままの物(やせ顔)か、太目に加工した物か、いずれかを貼り付けて送ったそれだけの違いで、やせ顔の方が圧倒的に面接に呼ばれる確率が高かった。これは接客業や営業職といった人間関係が重視される業種だけではなく、電話交換業(?)等の人と接触する必要/機会のない業種でも同様の傾向だったようである。


また逆に就業希望者の側でも、就社するか否やを最終的に決定する因子として、面接官の印象が重要であるとのアンケート結果もある(リクルートエイブリック調査、日経産業新聞報道)。


ふと放送大学の経済学の講義で稀少性の問題、何かを選択する際に支払う対価について語っていたのも思い出す。例えば入学資格は入学試験の点数順に与えられるが、これは経済学的にはその点数を支払って合格を買っている・・・その点を取れるだけの努力をしている事を提示している事で、今後ともその程度以上の点を支払える・・・優秀な学生になりえる事を学校側に期待させる・・・学校側の利益大を期待されるので、入学権を売ったぁということになるという訳である。


顔立ちの整っている人, 体格がよい人, 壮健な人,..すべては未来に対する幻想を抱かさせてくれる、故にそれらを持ち得ない人々よりは期待しやすいのであろう。過去(の努力)故の(明示されているだけの)現在故の(知りえぬ)未来を・・・人は単にそう思うしかないのだろう・・か。


http://www.hatena.ne.jp/./1128250996