保守中道

エスカレーターでは歩いてはいけません」
若かりしころは、そう教育されてきましたが、いつの間にか「歩かない人は端に避けていろ」という風潮になっています。

エスカレーターが日本に導入されたのが、大阪万博の時だと聞きます。そのときには、外国流の左側から追い越すという習慣から、立ち止まる人は右寄り、歩く人は左側となったようです。そして日本全土に普及するに従い、いつしか日本流の追い越すのは右からが主流となったようです。関東圏・関西圏における発電機の輸入国の違いが電力の周波数の差異につながったのとは異なり、大阪の時は米国エレベーターだったが、その後は英国式エレベーターを導入・国産化したためという訳ではないのです。
 #似て非なるものに、義経が戦った場所では関西圏でも納豆が好まれるという伝説があります。

こうして見ると、最初からエスカレーターを歩いていたわけで、いつの時点で禁止されていったのかは謎です。エスカレーターを歩く行為は、特に下りは安全性の面で問題があることは想像しやすく禁止の要因として考えられますが、全体的な経済性の面でも問題なのはあまり知られてません。


ここで単位時間での最大運搬数を考えてみますと、立ち止まった場合には、最大一段に一人乗せることが可能です。しかしながら、歩く場合にはすべての人がムカデ競争のように息を合わせない限りは最大で二段に一人になり、立ち止まっている場合と同等の運搬数を確保するには、二倍の速さで動くことが必要となります。つまりはエスカレーターの稼動速さと同じ速さで歩くことが要求されています。

エスカレーターの稼動速さは 30m/min程度なので、たいした速さではないと思われるかもしれませんが、全区間をこの速さ以上のスピードで歩かなくてはいけません。つまり、少しでも遅くなったところは渋滞の発生箇所になってしまうので、効率が低下してしまいます。

渋滞発生箇所として最も可能性が高いのは、エスカレーターから降りる所であす。エスカレーター上の歩行速度に加えエスカレーターの稼動速度分の力が一気に足腰に掛かりますので、普通の人はそのような急激な加重変化に耐えらません。無意識にでも降り口直前では歩みを遅くてしまうので降り口が律速段階になり、立ち止まっているのとほとんど変わらない状況になります。
つまり途中でいくら早く歩いても、降り口では詰ってしまうので最大運搬数は立ち止まっている場合を超えることはありません


では人は何故、エスカレーターで歩くのでしょう?。そこにエスカレーターがあるから・・・ではありません。階段を楽に移動したい欲求故に開発されたエレベーター、何故そこを歩くのでしょう?。

一歩でも素早く先に進みたがるのは、人としての性?。「いらち」こそが進化の源泉だとか・・・。そのために社会全体の効率は悪化しても、個人的な要求を追求してしまいます。幸福を探すために人は歩きたがるのでしょう・・か。まぁ、これが個人主義・資本主義の根底にあるもののひとつでしょうね。

これが嫌で、社会はもっとも効率的・効果的であるべきだと思われ、その余裕が幸福につながると考える方もおられるかと思います。しかしエレベーターを歩くなとしただけで効率のよう乗り方が達成されるわけではありません。一般的には、てんでばらばら(ランダム)な間隔に乗っかってしまい、決して密にはなりません。山嵐さんの距離がそこにはあります。なので効率追求のためには、順序よく乗るように統制が必要となります。これが全体主義社会主義の底流にあるものなのでしょうか。そうして、現実世界には余剰の効率化により余った物を寸借する輩が・・・。

どっちも嫌いという我が儘な人は・・・、いやどちらも選びたくない善良なる一市民はというと・・・中道ではどちらの人たちにとっても邪魔な存在にしかならないのです。そう、エレベーターの真ん中に立ち止まってはいけません。

http://www.hatena.ne.jp/1086581659